瓢箪から駒、徳利から楕円球

ノックオンクラブ 吉條宏孝

 酒場では、どんな話から花が咲くかも知れぬ。飲んだ勢いとは怖いもので、そんな冗談話からわがラグビーチームはスタートした。  奈良市の酒場「松月」(現・南市町の「田川」)で店の主人と客の会話から始まり、舟橋町の県立商科大学グラウンドで毎週日曜日、ゴムのラグビーボールで遊びはじめたのだ。

 それが嵩じて1980年2月、私が『ラグビーマガジン』に投稿、ずいぶん待たされて10月号に掲載された。直ちに数人から連絡はあったものの私の腰は重く、翌年4月5日、金子、吉貝の2氏と会って本格的にスタートさせることを決めた。5月の県リーグ総会で天平クラブなどと共に加盟は受諾されたものの、素人が多すぎるということでリーグ入りは認められなかった。

 そんなわけで最初の1年は練習に明けくれ、県立商科大学、帝塚山学園、教育大学付属中学などグラウンドを転々とし、ようやく今の平城宮跡に落ち着いた。 82年5月Bリーグ入りするも1不戦勝7敗、 83年に新設のCリーグに降格されやっと初勝利、朝日新聞奈良版にその記事が載ったほどだ。

 それからおよそ10年、転勤による退部や新しいメンバーとの入れ換わりもあり、結成当時からの古顔は6名ほどとなった(「松月」の仲間は今でも飲み友達ではあるが、本気で練習をはじめた頃にはエスケープしてしまった)。

 年齢も住所も職種もまちまちの我々だが、よくもここまで来れたと思う。特に昨秋(1993年)、豊田市で行なわれた関西クラブチーム大会に県代表で出場できるなんて、本当に感慨深いものがある。また、今春の府県対抗の奈良県の代表チームにも何人かのメンバーを送ることができるまでになった。

 現在、高校生から40代までのラグビー大好き人間が平城宮跡で毎週日曜日に集まっている。即戦力メンバーの加入は大歓迎だが、未経験者や試合には出場できない中・高生ももちろんウエルカムだ。

 毎年、御杖村で夏合宿を行なっているがミーティング(半分、酒宴)は夜遅くまでつづき、みんな本当にラグビーが好きなんだなと、つくづく思う。

 今後は高年齢層メンバーを主体としてチーム内チームの結成、クラブハウスの開設など、ラグビーキッズの夢はつきない。地域に根ざしつつも外に開かれた、ヨーロッパやNZタイプのスポーツクラブをめざしたい。

 共に我らとナイスゲームを!

(奈良ラグビー第9号(1994)より)

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